レベル/メタレベルをめぐる問題
仮説1―3(第二章―第六章) メタレベルの導入
(1) レベルとメタレベル
第一の依頼=映画内部の推理(犯行の内容の推理)
推理の過程=製作状況(メタレベル)の情報を利用
第一レベル*1 | メタレベル |
映画の内部 | 映画の外部 |
スクリーンに映る事象 | 製作の状況 |
(2) メタレベルの導入
仮説1=物理トリック | 犯行時の心理的側面から棄却 | →メタレベルは導入されない |
仮説2=物理トリック | 不使用の小道具からトリックを導出 | →メタレベルの情報を導入 |
仮説3=スプラッタ | 小道具の準備不足から棄却 | →メタレベルの情報を導入 |
(3) 文学作品の読解(内包された作者/実際の作者)と並行的
仮説1 | 内包された作者の意図の復元を志向 | ←内容から推理。周辺情報は軽視 |
仮説2 | 内包された作者の意図の復元を志向 | ←実際の作者の意図(ザイルの準備)も手がかりに利用 |
仮説3 | 内包された作者の意図を離れて、自由な発想 |
【レベル/メタレベル】=【作品内在的/作品外在的】と把握しうる?
仮説4(第六章) メタレベルへの移行/メタ・メタレベルの導入
(1) 第二の依頼(第五章)
「私は、君がこの三日間で、君自身の技術を証明したと考える。もし探偵が批評家であるなら、他の探偵の所業を批評しきった君には探偵役が務まると思う。自分の期待が妙でなかったことを、私は確信している。君は、特別よ。
そこでもう一度頼みたい。折木君。どうか、二年F組に力を貸して。あのビデオ映画の正解を、見つけて欲しい」(181−182頁、入須の言葉)
この第二の依頼は、内包された作者の意図とも実際の作者の意図とも受け取りうる
(2) 仮説4(第六章)=「これが、本郷の真意だ」(198頁、折木奉太郎の言葉)
- 目的=脚本家の真意の回復 →メタレベルへの推理を志向(実際の作者の意図の復元)
- 証拠=ビデオ+小道具 →作品内在的情報+作品に係わる外在的情報
- 内容=カメラマン犯行説(叙述トリック) →メタレベルへの推理ではなく、犯行の推理
- 反証=脚本家の周辺の状況 →メタレベルの情報(実際の作者の周辺)から棄却
(3) 作品に関係する作者ではなく、作品から離れた作者の状況が問題となる
福部の指摘=本郷の参照した書物に叙述トリックは存在しない→仮説4を否定
千反田の指摘=本郷と周囲の人間関係から考えると、結末の不在そのものが不自然
俺は、あの映画の脚本を、ただの文章問題と見ていたのではなかったか。舞台設定、登場人物、殺人事件、トリック、探偵、「さて犯人はこの中にいます」……。
そこに、本郷という顔も知らない人間の心境が反映されているということに、俺は気づいてさえいなかったのではないか。
……まったく、大した「探偵役」だ!
(中略)
「とっても驚きました、あの解決シーン。あれはきっと本郷さんの考えじゃありませんが、でも、素敵な仕上がりになっていると思います」
苦笑するしかなかった。
俺は脚本家を引き受けたんじゃなかったからだ。(225−226頁)
- 映画の内容から推測しうる結末の回復=作品に内包される作者を問題化する態度=「脚本家を引き受ける」→このとき、原理的には前の脚本家(本郷)の意図は考慮されなくても、脚本として優れていれば問題はないことになる
- 映画の内容を離れ、本郷という人物そのものの状況を問題化する態度=こちらの観点に立って初めて、「本郷の真意」を見抜くことが可能か? →メタ・メタレベルの導入(作品と無関係だが、本郷と関係ある事柄を視野に入れる)
仮説5(第七章) メタ・メタレベルへの移行
(1) メタ・メタレベルへの移行
だが、何を間違ったのだろうか。入須は、俺が間違ったことを知っているのか?(227頁)
千反田の指摘によって、入須による依頼の意図を問題化する→メタ・メタレベルの存在に気付く
第一レベル | メタレベル | メタ・メタレベル |
映画の内部 | 映画の外部=映画の置かれた状況 | 脚本家の置かれた状況 |
内包された脚本家の意図 | 脚本家本郷の意図 | 依頼者入須の意図 |
(2) 偽の手がかりの指摘
1. 作者(脚本家)の置かれた困難
「本郷の知らない内に、傷害事件は殺人事件になっていた」(241頁)
「本郷はクラスメートに、映像が脚本から致命的に外れていることを言えなかった。」(同上)
2. 依頼者の意図を推理 →メタ・メタレベルへの推理
依頼者の意図=実際の作者の意図の復元ではなく、新たな解決の模索
「俺は探偵じゃなかった。推理作家だったんじゃないですか」(234頁)
「あなたはあなたのクラスメートを集め、推理大会を開いた」
そして。
「そして、そうと見せかけ実際はシナリオコンテストを行った。…(中略)…誰も、俺も、自分が創作しているとは気づかなかった。あなたによって恣意的に、基準点がずらされていたからだ。
俺の創作物は本郷のそれに入れ替わり、本郷は傷つかずに済むという寸法です。」(242頁)
- この推理は映画の内容を何ら決定しない=第一レベルの推理ではない
- また、映画の制作状況などから推測される脚本家の意図を決定するものでもない=メタレベルの推理ではない
- しかし、この推理によって、「本郷の真意」が決定され、「本郷の真意にそぐう映画の内容の推理が正しい」という基準を成立させる=メタ・メタレベルの推理
仮説6(第八章) メタ・メタレベルからの反り返り
殺人ではない、本来の犯人当て=仮説5に立脚した推理 →メタ・メタレベルに立脚した第一レベルの推理
メタ・メタレベルで保証されない範囲は第一レベルでは確定不可能=動機は不明のまま
ほうたる:なぜ、鴻巣が海藤を刺したのか。海藤は鴻巣を許したのか。
ほうたる:そこまではわからん。本郷が口を割るまでは、謎のままだろう。
→真実はマユ(繭/真由)に包まれている*2。
*1:メタレベルとの区別のために、敢えてこう呼んでおく
*2:奉太郎たち登場人物の前に一度も登場しない、このビデオ映画の脚本家の名前が本郷真由。タイトルと登場人物の名前に関する読みはid:genesis:20060621を参照。
『愚者のエンドロール』における後期クイーン的問題への覚え書き
本作の構造の確認
〇 アバンタイトル
- チャット1(ログナンバー00205) 登場人物(ハンドル)=まゆこ/名前を入れてください
- チャット2(ログナンバー00209) 登場人物(ハンドル)=あ・た・し♪/名前を入れてください
- チャット3(ログナンバー00214) 登場人物(ハンドル)=名前を入れてください/L
一 試写会に行こう!
事件の提示(ビデオ映画)=劇場の上手袖で海藤武雄が襲われる。鍵はかかった状態。解決編を欠く
依頼1=ビデオ関係者による解決編(の仮説)の吟味
二 『古丘廃村殺人事件』
仮説1(中城順哉) 問題認識=密室殺人・物理トリック
- 犯人=不明
- 方法=徒歩で屋外から窓を通じて侵入。襲撃後、同様に逃走
- 難点=窓の外に侵入・逃走の形跡なし。犯人を特定できない。侵入前に目撃される危険性
三 『不可視の侵入』
仮説2(羽場智博) 問題認識=密室殺人・物理トリック
- 犯人=鴻巣友里
- 方法=ザイル(準備されたが不使用)を利用して二階から窓を通じて侵入。襲撃後、同様に逃走
- 難点=立て付けが悪く、窓を開けるのが困難
四 『Bloody Beast』
仮説3(沢木口美崎) 問題認識=スプラッタ・超自然的現象
- 犯人=怪人
- 方法=壁抜けにより侵入。今後、男女一組を残して連続殺人に発展
- 難点=撮影の準備不足(血糊・凶器・特殊メイク)。死者が一人のみ
五 味でしょう
仮説1〜3を否定 →依頼2=解決編の導出
六 『万人の死角』
仮説4(折木奉太郎) 問題認識=「本郷の真意」(198頁)の復元
- 犯人=カメラマン
- 方法=カメラを止めた後でマスターキーを用いて侵入。襲撃後、ロビーに戻る
- 問題認識=叙述トリック 登場人物にとっては犯人が誰かは自明だが、観客にとっては謎
七 打ち上げには行かない
仮説4の吟味(伊原、福部、千反田)
- 難点=ザイルの不使用。本郷の参照した書物に叙述トリックは存在しない。本郷の心境とそぐわない
- 結論=論理的には成立するが、「本郷の真意」ではない
仮説5(折木奉太郎) メタレベルへの推理=映画の内容ではなく、製作に関する推理。
- 問題認識=「本郷の脚本では、死者は出ないはずだった」(240頁) 殺人事件ではない
- 推理=撮影された映像が脚本を逸脱し、傷害が殺害に変化。そのため、解決不可能となった脚本を、推理大会という形のシナリオコンテストで救済
八 エンドロール
- チャット1(ログナンバー00299) 登場人物(ハンドル)=まゆこ/名前を入れてください
- チャット2(ログナンバー00313) 登場人物(ハンドル)=あ・た・し♪/名前を入れてください
- チャット3(ログナンバー00314) 登場人物(ハンドル)=ほうたる/L
仮説6(ほうたる) 問題認識=傷害
- 犯人=鴻巣友里
- 方法=ザイルを使って右側控え室の窓から侵入、襲撃後、同様のルートで二階に戻る。海藤は犯人をかばって自分から上手袖に入り、鍵をかける(密室の成立)
はじめに
諸岡さん(®¤½çGLÙ)、おおいしげん(id:genesis)さん、浅木原忍さん(id:asagihara)らとともに、ミステリ研究会で米澤穂信『愚者のエンドロール』をとりあげました。その際に私が配布した資料のうち、分析の部分を抜粋・編集したものを以下に掲げます。
ハルヒ雑感3 キョンのこと
京極夏彦『姑獲鳥の夏』とハルヒシリーズの内容に触れているので注意!
小森健太朗さんが「週刊書評」でハルヒをミステリとして位置づけているのに触発されて、少し考えてみました。
『姑獲鳥の夏』の構造
あえて『姑獲鳥の夏』と対比させてみる。関口その他の人々は人体消失の謎の内部に存在し、従って謎を謎として受け取ってしまう。京極堂は謎の外部に存在し、従って「不思議なことなど何もない」が、それを推理することはできても、やはり半ば関口の側に位置せざるを得ない。これは言葉によって表象されるが故に、言葉の外に抜け出ることが出来ないということであり、それを象徴するのが「蛙」である。しかし、榎木津は言葉に依らず直接的に事態を把握することができるため、実は京極堂の推理を外側から担保するストッパーとなっている。だが、榎木津は自分ではそれを言葉に出来ない。なぜなら京極堂の推理を経なければ、榎木津の言葉もまた、関口たち謎の内部の言葉に翻訳されてしまうから。例えば「蛙」のように。図式化すると以下の構造になる。
【関口の世界】<謎<【京極堂の位置】<担保<【榎木津の世界】
京極堂の推理は、関口たちの立っている謎を含んだ一個の体系を、榎木津の立っている謎を含まない一個の体系に合一化する試みである。これは二つの世界を繋ぐアブダクションの試みであり、エーコがホームズの推理についてパースのアブダクションを適用した*1のは正しい。。関口に京極堂の推理を聞かせると、榎木津と同じようにクリアーな世界となって、謎は解かれる(引き算される)。これも図式化すると以下の通り。
【関口の世界】+【京極堂の推理】=【榎木津の世界】−謎
「ハルヒ」シリーズにおけるハルヒの位置
さて、「ハルヒ」シリーズは、エピソードの動因としてハルヒの外部性=願望を世界へ投射する能力を採用しているが、ハルヒは謎=不思議なことを常に求めている。つまり謎の内部に位置づけることができる。
【ハルヒ世界】<謎
古泉・長門・朝比奈の位置
キョンの位置
ところが、ここで特権的な位置に立つのが京極堂にあたる三人ではないというのが、このシリーズのおもしろさである。簡単に言うと三人も推理する人間が存在すると、どの説明が正しいのか(あるいはどの点で複数の説が一致するのか)わからない。アブダクションが当たってるかどうか、別の人に判断を仰がなければならない。それら三人の推理の可否を判断する榎木津に当たるのがキョンだ。彼は三人からそれぞれ事情を打ち明けられている点で、ハルヒと違う位置に存在する。個々のエピソードでは、ハルヒの求める謎に振り回されつつ、その事態の解釈を三人の誰かから得て、物語を解決に導く。しかしそれはキョンが推理したのではなく、彼は誰かの推理を正しいと受け入れ、それに基づいて行動して、その推理と【ハルヒ世界】を合致させたのだ。
キョンは一方でハルヒとともに不透明な(謎のある)世界に置かれ、もう一方で、透明な(謎を見通す)世界に置かれる。前者を朝比奈みくる(小)、後者を朝比奈みくる(大)の世界と捉えるとわかりやすいだろうが、一人の人物がこの二つの位置に同時に満たすことはできない。朝比奈が成長して(大)になり、種種の制約から(小)は(大)よりも情報量が少ないという作中の事態と同様に、キョンもまた、時間の経過によって不透明から透明へ位置を変える。つまりエピソード内部でのストーリーの進展とともに、謎が解かれてゆくことになる。しかし、このキョンの遷移は個別のエピソードの内部でのものにすぎない。シリーズ全体を通してみると、彼は(ハルヒとともに)【ハルヒ世界】の内部に留まり、謎の観測を続けている。また彼は同時に、エピソード(謎)を解決に導くために、謎の外部の位置に立つ三人から説明を受け、そのうえで妥当な説を選択する権利を行使する。これを図式化すると、以下のようになる。
クラインの壺
この図式にミステリとしての「ハルヒ」シリーズの特異性が現れている。謎の内側から語るのではなく、謎の外側から語る。しかも、ミステリが成立する(謎が成立する)ために、語り手の位置が同時に二つある。【ハルヒ世界】を一個の円、それを上から眺める【三人世界】、さらにそれらを担保する【キョンの位置】とすると、全体は一個の円錐となり、頂点が【キョンの位置】となる。また【キョン】は【ハルヒ世界】の内部にも存在するから、二つの彼の位置を繋ぐと、クラインの壺ができる(笑)。
「ハルヒ」シリーズは、謎について語る人間(ハルヒ)、その人間について語る人間?(古泉・長門・朝比奈)、物語の語り手として彼らについて語る人間(キョン)という順番に、語ることの権力を行使するテキストとも見ることができるだろう。そしてミステリとはそうした語りのテキスト、語ることによって推理を事実と重ね合わせ、世界を確定させるテキストではなかったか。この限りにおいて、「ハルヒ」シリーズもまたミステリといえるのではないだろうか。
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ハルヒ雑感1 ルソーのこと
今おもいついたこと。『涼宮ハルヒの憤慨』所収の「ワンダリング・シャドウ」にはルソーという猫が登場し、ハルヒはジャン・ジャックと呼びかけるのだが、ルソーが猫なのはひょっとしてロバート・ダーントン『猫の大虐殺』から来ているのだろうか*1。
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追記(6月9日)
コメント欄でルソーは犬であるという突っ込みを頂きました。が、趣旨に従って書き換えると意味のない記事になってしまうので、上記事は蒙昧をさらけ出した現状のままに置いておこうと思います。砂塵さん、ご指摘ありがとうございました。
*1:本書には四本の論文が収められており、そのうち二つ目が猫の大虐殺、三つ目がルソーと読者のやりとりを分析している
砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない
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山田なぎさの語りによって、海野藻屑が断片化される話。私にとっては、安易な語りを拒む藻屑と、安易な語りに従順なそれ以外人々(当のなぎさを含めて)の二分法に読めます。従順な語りは一種の成長物語(ビルドゥングスロマン)として読めてしまう、つまりそうした物語の説話構造に対して従順なわけです。別の言い方をすれば、山田なぎさはこの話をビルドゥングスロマンとして語り直している、そうした抑圧をしていると言ってもいいでしょう。
一方で、描かれている出来事はもっと違う様相を呈していて、佐藤俊樹が言っているように*1、単純な成長物語とは読めない。佐藤は本書のあとがきに「現実(ルビでリアル)がさらりと示され」ていることを指摘し、「子どもも聖域ではない」と述べる。つまり、誰もミステリにおける名探偵のような超越的なヒーローとしては存在できない、そういう「現実」を(批評的に?)指し示しているのが本書の優れた点だということだと、私は読んだ。
けれども、藻屑はどこにいくのだろう。佐藤の指摘はその通りで、納得もするのだけれど、生き残った人々にとっては、藻屑の事件は成長だったり違ったり、ヒーローになったり、そこから滑り落ちたりするきっかけなんだと思う。でも、藻屑はどうなんだろう。そうして様々な人にきっかけとして利用される=語られるだけで、山田なぎさに「砂糖菓子の弾丸」と呼ばれるだけで、砂糖菓子の弾丸がいかなるものだったのかは、私にはよくわからなかったんだ。
ビルドゥングスロマンとは違う物語を本書から読み取るのならば、そのきっかけはやはり藻屑だ。けれども、それは山田なぎさの語りの抑圧から抜け出した瞬間の藻屑を捕まえることができれば、という条件が付くのだと思う。抜け出した藻屑は、ひょっとすると構造だって組み替えることができる、一種の中間状態かも知れない*2。もちろん、違うかも知れないけど。