ハルヒ雑感3 キョンのこと
京極夏彦『姑獲鳥の夏』とハルヒシリーズの内容に触れているので注意!
小森健太朗さんが「週刊書評」でハルヒをミステリとして位置づけているのに触発されて、少し考えてみました。
『姑獲鳥の夏』の構造
あえて『姑獲鳥の夏』と対比させてみる。関口その他の人々は人体消失の謎の内部に存在し、従って謎を謎として受け取ってしまう。京極堂は謎の外部に存在し、従って「不思議なことなど何もない」が、それを推理することはできても、やはり半ば関口の側に位置せざるを得ない。これは言葉によって表象されるが故に、言葉の外に抜け出ることが出来ないということであり、それを象徴するのが「蛙」である。しかし、榎木津は言葉に依らず直接的に事態を把握することができるため、実は京極堂の推理を外側から担保するストッパーとなっている。だが、榎木津は自分ではそれを言葉に出来ない。なぜなら京極堂の推理を経なければ、榎木津の言葉もまた、関口たち謎の内部の言葉に翻訳されてしまうから。例えば「蛙」のように。図式化すると以下の構造になる。
【関口の世界】<謎<【京極堂の位置】<担保<【榎木津の世界】
京極堂の推理は、関口たちの立っている謎を含んだ一個の体系を、榎木津の立っている謎を含まない一個の体系に合一化する試みである。これは二つの世界を繋ぐアブダクションの試みであり、エーコがホームズの推理についてパースのアブダクションを適用した*1のは正しい。。関口に京極堂の推理を聞かせると、榎木津と同じようにクリアーな世界となって、謎は解かれる(引き算される)。これも図式化すると以下の通り。
【関口の世界】+【京極堂の推理】=【榎木津の世界】−謎
「ハルヒ」シリーズにおけるハルヒの位置
さて、「ハルヒ」シリーズは、エピソードの動因としてハルヒの外部性=願望を世界へ投射する能力を採用しているが、ハルヒは謎=不思議なことを常に求めている。つまり謎の内部に位置づけることができる。
【ハルヒ世界】<謎
古泉・長門・朝比奈の位置
キョンの位置
ところが、ここで特権的な位置に立つのが京極堂にあたる三人ではないというのが、このシリーズのおもしろさである。簡単に言うと三人も推理する人間が存在すると、どの説明が正しいのか(あるいはどの点で複数の説が一致するのか)わからない。アブダクションが当たってるかどうか、別の人に判断を仰がなければならない。それら三人の推理の可否を判断する榎木津に当たるのがキョンだ。彼は三人からそれぞれ事情を打ち明けられている点で、ハルヒと違う位置に存在する。個々のエピソードでは、ハルヒの求める謎に振り回されつつ、その事態の解釈を三人の誰かから得て、物語を解決に導く。しかしそれはキョンが推理したのではなく、彼は誰かの推理を正しいと受け入れ、それに基づいて行動して、その推理と【ハルヒ世界】を合致させたのだ。
キョンは一方でハルヒとともに不透明な(謎のある)世界に置かれ、もう一方で、透明な(謎を見通す)世界に置かれる。前者を朝比奈みくる(小)、後者を朝比奈みくる(大)の世界と捉えるとわかりやすいだろうが、一人の人物がこの二つの位置に同時に満たすことはできない。朝比奈が成長して(大)になり、種種の制約から(小)は(大)よりも情報量が少ないという作中の事態と同様に、キョンもまた、時間の経過によって不透明から透明へ位置を変える。つまりエピソード内部でのストーリーの進展とともに、謎が解かれてゆくことになる。しかし、このキョンの遷移は個別のエピソードの内部でのものにすぎない。シリーズ全体を通してみると、彼は(ハルヒとともに)【ハルヒ世界】の内部に留まり、謎の観測を続けている。また彼は同時に、エピソード(謎)を解決に導くために、謎の外部の位置に立つ三人から説明を受け、そのうえで妥当な説を選択する権利を行使する。これを図式化すると、以下のようになる。
クラインの壺
この図式にミステリとしての「ハルヒ」シリーズの特異性が現れている。謎の内側から語るのではなく、謎の外側から語る。しかも、ミステリが成立する(謎が成立する)ために、語り手の位置が同時に二つある。【ハルヒ世界】を一個の円、それを上から眺める【三人世界】、さらにそれらを担保する【キョンの位置】とすると、全体は一個の円錐となり、頂点が【キョンの位置】となる。また【キョン】は【ハルヒ世界】の内部にも存在するから、二つの彼の位置を繋ぐと、クラインの壺ができる(笑)。
「ハルヒ」シリーズは、謎について語る人間(ハルヒ)、その人間について語る人間?(古泉・長門・朝比奈)、物語の語り手として彼らについて語る人間(キョン)という順番に、語ることの権力を行使するテキストとも見ることができるだろう。そしてミステリとはそうした語りのテキスト、語ることによって推理を事実と重ね合わせ、世界を確定させるテキストではなかったか。この限りにおいて、「ハルヒ」シリーズもまたミステリといえるのではないだろうか。
- 作者: ウンベルトエーコ,トマス・A.シービオク,小池滋
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