桜庭一樹『少女には向かない職業』

少女には向かない職業 (ミステリ・フロンティア)

少女には向かない職業 (ミステリ・フロンティア)

 やはりジュブナイル的だよねぇ、と思うが、判断に迷う。ところで、忌中のはずなのにお節を用意するのはわざとなんですよね? 作中でエビが反復されていたのだけれど、わたしの今日の夕食は豪勢にもお刺身だったので、ちょっと胃のあたりが重くなりました。
 さて、ちょっと別の見方をすると、おそらく主人公の成長を描くジュブナイルではない。では何かというと、セカイ系ではないか、と思う。従来は簡単に言って戦争のような大状況と、ごく私的な小状況があり、両者をつなぐ社会的領域がバッサリ抜け落ちた作品世界のなかで、小状況の私的関係(恋愛)を大状況の大きな価値よりも優先するものがセカイ系の典型だったと、わたしの小さい頭は捉えているのです。で、最近は最初から両者が重なった作品もあると、斉藤環が『小説トリッパー』2005年冬号で指摘しておりました。詳しいことは読んで頂きたいのですけれど、両者の空間がぴったり重なった「セカイを欠いたセカイ系小説」として『りはめより100倍恐ろしい』を紹介してました。
 『少女には向かない職業』も同じなんだと思います。戦争的状況が日常的状況と重なり合ってしまうことを描いている点で。けれども、二人の主人公はおもしろい対比をなしていて、一人は家庭の内部にとらわれ、一人は越境する。それでいながら両者は似てしまう。分かり合いすぎると変化も成長も得られず、変化や成長はコミュニケーションの断絶へ繋がるという、分かり合う他者たちの群れを斉藤環はゾンビあるいはキャラと呼んでいるのですが、このことは『少女には向かない職業』の二人の主人公にもあてはまります。ぐるりと回るのはセカイの方で、二人の中学生は、ある「職業」の名前で呼ばれるのです。一人称の語りに惑わされずに小状況と大状況の重なり具合と、それぞれの変化、そして主人公たちの変容を丹念に追いかける必要があるように思います。

りはめより100倍恐ろしい

りはめより100倍恐ろしい