カップラーメンのこと。
カップラーメンでお店の名前が付いているものがあります。当然ながら、元のラーメンとは全然違うということを、私たちは知っていて買うわけです。通販でお取り寄せするのとは違って、カップラーメンではそのお店の味をそっくりそのまま再現しているわけではありません。
いや、別に不味かったから愚痴をたれているのではなくて、お店のラーメンのカップラーメン的模倣というのは、起源と全く異なるにもかかわらず起源を堂々と指し示しているという意味では、シミュラクラというよりは、やっぱりシミュラークルに近いのかしら、などとやくたいもないことを考えながらのびた麺をすすり込んでみたり。これはこれで、カップラーメンとして実在してるから、別種のリアルなんだろうか。そう考えないと、この乾麺の不味さは許せないよなぁ、思いつつ咀嚼してみたり(ぬるいお湯を使ったことは棚において)。
いやね、支店ごとに味が異なるチェーンのラーメンをカップラーメンとして売ってたりするのを見ると、これって何の味を基準とすればいいのかしら、と気になったので。作り手は本店の味を再現、といっているのでしょうが、明らかに違う種類の食べ物だと思うん。
うな重としてのポストモダン
この前思いついたこと。ポストモダンはうな重ではないか?
近代は例えばうなぎの蒲焼きやご飯、お吸い物などを発明した。ポストモダンはそれを受けて、うな重という様式を作り出す。だから、ポストモダンに対して「うなぎとご飯を一緒にしただけじゃないか!」あるいは「うなぎもご飯ももともとあったものなんだから、うな重そのものの固有性を物質的に示せ!」なんていう批判がでる。確かに、うな重の固有性って言ったって、たれとご飯が混ざったところを示したところで、それは近代だってある。口中調味だ、と言われてしまうかもしれない。
かといって、うな重は全て要素還元的にうなぎ蒲焼き定食なのだから、うな重は存在しない料理なんだ、単にうなぎ蒲焼き定食の亜流に過ぎないんだっていうのは、やっぱり強弁なんじゃなかろうか。うなぎとたれとご飯との一体感、口の中に入れる前に作り出されているハーモニーがうな重で、つまりは要素の物質的側面じゃなくて、組み合わせの妙なんだと思う。
そうすると、ポスト・ポストモダンはひつまぶしかしら。
メモ
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ほかに、千のプラトー。
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やはりジュブナイル的だよねぇ、と思うが、判断に迷う。ところで、忌中のはずなのにお節を用意するのはわざとなんですよね? 作中でエビが反復されていたのだけれど、わたしの今日の夕食は豪勢にもお刺身だったので、ちょっと胃のあたりが重くなりました。
さて、ちょっと別の見方をすると、おそらく主人公の成長を描くジュブナイルではない。では何かというと、セカイ系ではないか、と思う。従来は簡単に言って戦争のような大状況と、ごく私的な小状況があり、両者をつなぐ社会的領域がバッサリ抜け落ちた作品世界のなかで、小状況の私的関係(恋愛)を大状況の大きな価値よりも優先するものがセカイ系の典型だったと、わたしの小さい頭は捉えているのです。で、最近は最初から両者が重なった作品もあると、斉藤環が『小説トリッパー』2005年冬号で指摘しておりました。詳しいことは読んで頂きたいのですけれど、両者の空間がぴったり重なった「セカイを欠いたセカイ系小説」として『りはめより100倍恐ろしい』を紹介してました。
『少女には向かない職業』も同じなんだと思います。戦争的状況が日常的状況と重なり合ってしまうことを描いている点で。けれども、二人の主人公はおもしろい対比をなしていて、一人は家庭の内部にとらわれ、一人は越境する。それでいながら両者は似てしまう。分かり合いすぎると変化も成長も得られず、変化や成長はコミュニケーションの断絶へ繋がるという、分かり合う他者たちの群れを斉藤環はゾンビあるいはキャラと呼んでいるのですが、このことは『少女には向かない職業』の二人の主人公にもあてはまります。ぐるりと回るのはセカイの方で、二人の中学生は、ある「職業」の名前で呼ばれるのです。一人称の語りに惑わされずに小状況と大状況の重なり具合と、それぞれの変化、そして主人公たちの変容を丹念に追いかける必要があるように思います。
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第1部のエヴァを指し示している幾つかの部分は、どういった意味合いなんだろう。大塚英志『定本物語消費論』の表紙(下記)の奇妙な廃墟とを重ね合わせることで、「神戸」「オウム」「エヴァ」という90年代の持続あるいは閉塞を見て取るとよいのでしょうか。と思ったら、第2部のインタビュー「いやほんと、どうでもいいんです実際 『物語る絵画』について」で作者が、エヴァ以降は何もないと答えてた。
「人間の実存がかなり危ういという実感があるのでしょうか」って質問に対して作者は「実存自体の否定というか。どうでもいいみたいな。」と応じている。詳細は読んでほしいというか、読め! という感じですが、重要なのは劣化コピーに満ちた現状を実存の不在として流すだけではすまなくて、それにすら魂は宿るかも知れない、そこに切実さを求める人間が居るという認識だと作者は言っている(ようです、わたしの読んだ限り)。
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